海月の音

聴こえなくても良いんだけど。

甘甘甘甘

 

体調が悪いと精神的にもおかしくなるんですかね。まあそうだったとしても何の言い訳にもならないけれど。

 

体調不良も含めていろんなもやもやが重なって、スイーツで例えると、うーん、いちごカスタードミルフィーユみたいな感じ?

 

 

 

 

美味しそうだし、幸せそうだね。相変わらずおめでたいね。

 

おかしづくりとかしたいね。

 

セノビック

 

 

毎日、ゆっくり眠って、本を好きなだけ読んで、音楽を浴びて、たまに絵を描いて、おいしいごはんを食べる。

そんな暮らしが理想。

でも現実は?

 

 

 

うん

そういうことだよね。

 

今の生活に満足はしていない。満足はしていないんだけれど、生温いココアに溺れるような日々はいらない、って思っている。だから多分これで良い。毎日ヒール履いて背伸びする位が丁度良いんだよ。どれだけ足が痛くとも闘い続ける自分じゃなきゃ愛せないんだから。

 

「絶対に夢叶えようね。」って約束する相手はいつも自分自身。

今の暮らしが明るい未来につながっていることを祈るばかりだよ。

 

 

今は一人で居たい

という大嘘。

 

わたしは身勝手だなあと思う。

勝手に落ち込んで悲しんで嘆いて挙句にはバラードを流して酒も飲まずに酔っぱらう。おめでたいよ、本当に。

どうしたら赦されるのかを考えると同時に、そもそも赦すのはわたしのほうじゃないのか、とも思う。

 

まだ20年位しか生きていないのに、大切な人も、失いたくない場所も、守り抜きたい想い出も、気づけば両手じゃ抱えきれない程に増えていた。零れ落ちる事に慣れていないのはわたしが未だ子供だからかもしれないけれど、多分何年経っても受け入れられないし、それでいいような気がしている。

 

 

この曲良いでしょ。昔好きだった人を思い出す。

女々しい男の人を女々しい、と突き放せないのは、私が優しいからじゃないことなどとっくに気づいていてもおかしくないと思うんだけど。

 

タイトルを付ける程の価値もない文章

体調が悪い。

この年で薬漬けの毎日。原因がわからない。ストレスって言葉を自分自身に使うのが大嫌いだけれども消去法で「原因はストレス」とするしかないこの現状。

ストレスなんて誰だってある程度は感じているだろうし(だからといってストレスで体調を崩している人を弱いとも甘えているとも思っていないけれどね)、体調が悪くなる程のストレスを抱えている自覚はないんだけどなあ。

 

頑張りたいけど頑張れないのが悔しいな。頼むから頑張って私の身体。

身を削ってでもわたし自身の手によって伝えたいことがある、から、頑張れる。

自分の手で作らなくちゃ何の意味もないし今逃げてもずっと追いかけてくるんだよ。今までがそうであったようにね。

もっともっと頑張れるよ。本当に。

 

涙すら流れないこんな夜にぴったりな優しい歌を誰か教えて。

 

 

雨のち晴れ

さっきまで空の色は優しい青色だったような気がしたのに、気づけば重たい雲で世界は覆われていて驚いた。雨で視界は霞み切っているのに雷の光は容赦ない。

つい眼が眩んでカーテンを閉めれば一面に青空が広がっている。

f:id:abaratohiza:20150807190052j:plain

全くカーテン選びのセンスがあるのかないのか。

我が家のカーテンはほんの少し長さが足りていないせいで日中は常に外の光が微かに漏れている。深夜1時にやり始めた作業がひと段落ついて顔を上げるとカーテンの隙間から一筋の光が漏れていて絶望する、ということが頻繁にある。「一筋の光」なんて表現を用いるとなんだか前向きな印象を与えてしまいかねないが、勿論そんなはずはなく、この部屋に曳かれる光など「明日が来てしまった」という絶望を私に押し付けてくるものでしかない。私の中で光と絶望はイコールでありそこにポジティブな要素など存在しない。この部屋であたたかい陽の光に包まれながら死ぬくらいならネオン街で見えない星に見守られながら心臓をブチ抜かれたほうが幾分まし、とすら思える。

f:id:abaratohiza:20150807185438p:plain

うん、画像検索をして確信した。

今の時期は日の出が早すぎて精神的に不安定になる。太陽はもっと怠けていいと思う。貴方だってそう思うでしょう?

 

そんなことを想いながらキーボードをカタカタと打ち込んでいると外から何の音も聴こえなくなった。雨は止んだのだろうか?まあそんなことはどうだっていいんだよ、どちらにしてもこの部屋では快晴しかありえないのだから。

 

 

 

 

唯一、雨に流された約束だけは、胸につっかかっているけれども。どうせなら見えなくなるほど遠くに流れてしまえばいいのにね。

叫んでよ

 

先日7/28に発売されたQOOLANDの新曲「叫んでよ新宿」が最高に良い。

(ご本人の弾いてみた動画。耳コピできる人はこれで練習すると楽しいかも。)

タワレコ限定発売です。

 

「やればできる」と言った先生 じゃあやれないならやっちゃいけないの?

大人に噛みついて育って 将来はツケと訪れた

 

ライブでももう何度か聴いたのだけれどこのフレーズが印象的。

わたしも大人にとことん噛みついて生きてきた自覚があるから。

でもそれでよかったのかなと。自分の選択は間違いだらけだと当時は思っていたし(実際そうだった部分もあるけれどw)、周りの大人の行動や言動に許せなかったり、失望したり。そして歯向かい続けて強引に繋げた未来が今。

ずっと昔に想像していた未来とは程遠いけれど、そんなに悪くもないかも、と思っている。

今わたしの周りにいる大人は心から尊敬している人ばかりで、とても前向きな戦い方ができている。そういう意味ではとても幸せだなあとも思ったり。

そしてこれからも許せない人は許せないままで、受け入れられないものは受け入れなくてもいいんじゃないかなって。これが原動力の1つだし。

 

カップリングの「サンキューティーチャー」も今独りで戦っている人にぴったりな曲だと思う。あとわたしみたいな友だちの少ない人にぜひ聴いてほしいかなw

本当に大事な時にはやっぱり独りで戦わなきゃいけないのかなって思う。それを乗り越えた時に見える景色はかけがえのない自分の宝になるのかなあと。うん、そうであってほしい。

要するにとっとと課題を完成させなくてはいけないということですよ…誰も代わりにやってくれる人なんていないし自らの手で完成させなきゃいけない、必ず。頑張るううううううううううううううううううううああああああああああああああああ

 

 

 

 

 

horloge

先日、大学の友人と「恋人からのプレゼントは何が欲しいか」という話になりその時は結論が出ずずっと考えていたのだけれど、わたしは時計が欲しいなあ、と。アナログ時計ね。

わたしはアナログ時計を読むことが苦手で、デジタル時計ですら見た瞬間は何の数字だかわからない(まあ時刻に決まっているんだけど)ことがよくあるんだけれど、それでも時計がほしい。

 

何の音もしない静か過ぎる夜に好きな人からもらった時計の秒針の小さな音を聴けば少しはこの不安も紛らすことができるのでは?と思うわけですよ。

わたしはすごく音楽が好きで、大好きなアーティストの音楽に依存しているという自覚があるんだけれど、何を聴いてもこれじゃない感というのか、「何が聴きたいのかわからないけど何か聴きたい、でも…」みたいな感覚に襲われるときがある。そんなときにも時計があったらなって。音楽とまでは言えなくても、時計の音って優しいから、耳ざわりが良いし(嫌いな人もいるけどね、かちかち五月蝿いって)。

 

腕時計ならどこへでも好きな人と一緒に行動しているような気持ちになるし、壁掛け時計なら一人の部屋に帰ったときの寂しさも薄らぐ気がするし、置き時計ならパソコンの隣に置いて、好きな人に会うことを楽しみにレポート書けるなあ、と思った。時計って最強。

 

 

 

って昨晩綴ったんだけれども今冷静な頭で読むとすっごい恥ずかしいね。

折角だから更新しておくけれどすぐ消すかもしれない、し、消さないかもしれない。

 

今日も暑かったね、身体には気をつけましょう。